Motivation〜やる気〜
 

 「給料が安くてもいいから、心が平和で人間らしい生活がしたい!!!」
・・・と切に、呪文のように願い続けていたら、本当にその通りになってしまった。『Service』で書いた過酷な職場の後、同じリラクゼーション業界に、
又復帰できるか不安だったけど、契約書がないことを確かめ、無事社会復帰ができた!

 今回は逆の意味で「大丈夫?」と心配になるくらい、ゆるやか〜・・・。
スタッフ同士、みんな仲良く和気あいあい。
シフトは100%個人の自由に決められるし、上から何か言ってくる人は
誰もいない。人間関係のストレスが一つもない事は大きいし、貴重な事だと思った。
 前職では同期のコとの間で、『小姑』(年下だけど)と呼んでいた存在の人がいた。自分の機嫌次第で、周囲を振り回し、他人の行動を良く見ていて、小さなミスでもグチグチ・・・揚げ足を取る。例えば、お客様との会話、言葉使い、足音、ホットキャビの開け閉めの音、施術時間、リセットの定位置・・・。
誰が今、何をやるべきか把握していて、忘れると後で必ず怒る。
しかも、癇に障るような憎たらしい怒り方なので、普通に言ってもらえれば
「はい。」で、済むものも、短気じゃない私でもカチンッとくるので、
やらなきゃ→怒られる・・・という連鎖反応で、私達は怯えながら、
「今日は怒られないように」
それが一番の目的のように、毎日動いていた。
 でもどこにでも一人はそうゆう『小姑』が、いるものと思っていた。もし一人もいなかったとしたら、同じように動けるのだろうか?

 次の職場では、とにかく心が平和になり、気持ちの余裕ができた。
わかりにくいような、わかりやすい例は、一か月の使い捨てコンタクトの持ちが全然違うこと。前職では15〜16時間付けっぱなしで、家に帰ったら外すのが精一杯なほどの疲れで、軽くしか洗えなくて、一か月弱しか持たなかった。
次の職場になってからは、しっかり洗って大切に使っているので、2〜3か月は持っている。
ただ、その職場もとても忙しいお店だったので、体力的にはきつかった。
そして歩合給+待機給(400円)なので、どんどん数をこなさないとお金にならない。流れ作業のように、淡々とこなす日々だったけど、休憩時間は必ずもらえていたので、前職ほどの大変さではなかった。
 しかし毎日300〜400分近く施術に入っていても、
「え!?これだけ??」と、思うくらい給料は安かった。前職から10万は下がった。それでもあの過酷な労働と、緊迫した精神状態を思い出すと、
給料と引き変えに、人間らしい生活&心の平和を取り戻したのだから、
良しとしよう・・・と思い直していた。

 新規のお客様、強い圧が好きなお客様、自分が疲れている時の最後のお客様、指名のお客様、クレームを出したことのあるお客様、いつも誰かを指名していて、たまたま休みだから自分にまわってきたお客様・・・お客様としては変わらなくても、相手や状況によって、自分の中のモチベーションは、
変わってきてしまう。お互い人間だから、技術だけではなく相性もあるので、
全ての人に受け入れられるのは難しい。
かと言って、指名が増えていくのは嬉しいだけではなく、
プレッシャーも心の負担も重くなる。
新規のお客様だけやっていれば、気が楽だけどそうはいかない。
すごく疲れていて、体力消耗し切っている時に入る最後のお客様は、
やっつけ仕事になってしまう。
仕事として割り切って、ただ淡々とこなすには、接客業だと違う気がする。
どこにやりがいを求め、私はいつまでこの仕事をやり続けるのだろう・・・。

 
 そう考え始めた頃、オーラソーマ(カラーセラピー)で、当時一緒に教室に通っていた人達と、小さな同窓会をした。
卒業後、マッサージとオーラソーマで自宅開業していた人が、今はお店を閉めて、田舎に帰ってしまったというので、その人の話を聞いた。
彼女は、
「もう私がやらなくてもいい、って思えるようになったの。今は田舎で事務やっているけど、今まで東京でマッサージやカラーセラピーやってました、ってことは言ってない。」
私は、せっかく時間とお金をかけて習得した技術を使わないのは、もったいないと言うと、
「これからは、自分に対してカラーセラピー使ったり、親にマッサージしてあげられるから、それでいいのよ。」と。
開業していた時は、それだけではやっていけないからと、新聞配達とオリジンと、デパートのお茶屋さんの三つを掛け持ちしていたらしい。そんな忙しい毎日で、子宮筋腫が8p程にもなり、大手術をして、しばらく働けなくなり、家賃も払えなくなったので、親に借金をしてしまい、そこまでして続けることはないと思って、療養も兼ねて群馬の実家へ帰ってしまったと言う。
「病気や生活費の問題もあったけど、何より五千円のお客様と、
一万円のお客様をカウンセリングする時の自分のモチベーションが変わってしまうことが嫌だった。五千円の人も時間とお金がないだけで、
一万円の人と変わらないくらい大きな悩みや、誰にも相談できない問題を抱えて、私の所へ来るのに・・・。
カウンセリングをしている時の1〜2時間より、この部屋を出てからの"これから"の方がよっぽど大事だから。この人はどんな言葉が欲しくて、
どんな風に背中を押してもらいたいのか・・・曇りのない目と透明な心で、
感じ取ることが何よりも必要だったの。その人の人生の大きな選択を左右してしまうかもしれないから。でもカツカツの生活で、食べていくのが精一杯だったら、人の事を感じ取る力や余裕がなくなっていく。そんな私から出る言葉で、その人のこれからが決まっていくのは良くない、と思ったの。」

 食事は質素に、光熱費はなるべく抑えるように、お風呂もお湯ははらず、一人の時は暖房も一切使わない。お客様がいらした時だけエアコンを入れて、手作りのお菓子と、ハーブティで暖かく迎える。そして三つの仕事・・・。
「私じゃなくても、カラーセラピーやマッサージやりたい人はいっぱいいるから、他の誰かがやってくれる仕事だと思ったの。私は田舎に帰って病気や借金で、散々迷惑かけた両親の側で恩返ししなきゃ、って。今度は私にしかできない人達に、心を込めた施術をしたい。」
"私がやらなくてもいいと思えるようになった"・・・その言葉が心に残った。
状況は違うけど、私の気持ちを代弁してくれたようで、スッキリした。

 その頃、もう少し給料が欲しいと思って、週6で働いていたので、疲れがピークに達していて、そろそろ潮時なのかもしれないと、ちょうど思えた頃だった。
生理痛がいつもより重く、鎮痛剤も効かず、一週間以上多い時の血の量が続いていた。しかも赤いおしっこのように、水っぽいのがジャージャーと
トイレに行く度に出た。血を出し過ぎて貧血気味になり、
頭痛も腰痛もあったので、仕事どころじゃなくなり、
早退や欠勤をしていた。いつもの生理とは明らかに違うので、
近くの婦人科に行ったら、『子宮内膜症』だった。
この病気は完全に治るものではなく、症状が出たら薬を飲んで
対処していくしかない、と言われた。
毎月の生理がこれから先も、こんなに重いのか・・・と思ったら、おかしくなりそうだった。もらった止血剤が毒のように思えて、飲みたくないと体が言っていた。

 婦人科の近くに漢方と鍼灸の店が、目に止まり、吸い込まれるように入って行った。事情を話したら先生は、
「基本的に西洋医学の対処療法と、東洋医学の悪い物は出してしまえ!!
というスタンスは違うから言うけど、血は出たくて出ているんだから、
止血剤で抑えちゃダメよ。あなたの体は、きっとそれがわかっていて
ここに来させたんだから。それから、婦人科系の病気になる人は、
自分が女だっていうことを忘れて、一人で男性のように頑張って働いている人に起こりやすいのよ。自分は女性だって事を思い出してもらうための
メッセージなの。」
 それを聞いて、カラーセラピーで開業した人の事を思い出した。一人ですごく一生懸命働いていた彼女も、子宮筋腫だった。

 私は止血剤を飲まずに、自然に血が止まるのを待ち、漢方を飲み始めた。ピル等の薬と違って、即効性はないし、長期戦にはなるけど、体がそれを求めているようだった。
それでも毎月の生理は辛くて、苦しかった。体もキツイけど、血をいっぱい出すので、血の気が引いて精気がなくなっていくのがもっと耐えられなかった。

 一番ひどい時は明け方の4時頃、寝ていたら突然の激痛で目が覚めた。
子宮の中で何かが暴れ回っているかのように、ドクンドクン 大きく波打つ。
激痛と鈍痛が交互に突き上げてくる痛み。
それを必死で抑えるように手でお腹を覆い、体を丸くして身をよじって、
のたうち回った。気のせいかもしれないけど、じっとしているより動いた方が
痛みを散らすことができた。体を起して立ちあがれなくて、
這ってトイレまで行った。
鎮痛剤を飲んでも、全然効かなかったので、本気で救急車を呼ぼうかと思った。
でもその時、昔生理痛の薬をもらいに婦人科へ行った時、
「あなたみたいに、自分で対処してくれる人はいいけど、ヒドイ人は生理痛でも
救急車呼ぶからね。」
と看護師に言われたのを思い出して止めた。生理痛くらいで・・・
と思われてしまう。でもこの痛みはどうしたらいいんだろう・・・。
時間が経てば治まるのか・・・。

 波打つ痛みの度にのたうち回って、とうとう涙が出た。痛くて泣くなんて、
大人になってから初めてだった。
「痛い!痛い!!」
と、一人なのに叫んでいた。誰も聞いていないのに。
もう気を紛らわすしかないと思って、窓を開けて外の空気を吸い、空を見上げた。ラジオからはKREVAの『くればいいのに』が流れてきた。

   逢いたいと思うその時には
   あなたがいない
   今すぐ逢いにはいけないから
   あなたがくればいいのに

   一人でも楽しめたとしても
   何か足りない
   もし 今 願いが叶うのなら
   あなたがくればいいのに

   逢いたいと思うその時には
   あなたがいない
   今すぐ逢いにいけないから
   あなたがくればいいのに
   気に止めずスルーしてたような
   すべてが愛しい
   わがままな望みってわかってるけど
   あなたがくればいいのに


痛みで頭がおかしくなってきたのか、不覚にも前一緒に住んでいた彼の事を
考えていた。あんなひどい別れ方したのに・・・
女がいるかも、と思い始めた時、悪いと思いつつも、彼の携帯を見て、
彼女とのやりとりを知ってしまったこと。
私の目の前で女に電話を掛けて、「今から行くから」と話していた彼。
そんな修羅場、最悪なことよりも、一番良かった時のことしか、その時は浮かばなかった。散々振り回されて、泣かされてきたのに・・・。

 彼は鍼灸師で、あの時は開業したばかりだったし、
私もあの激務の店でヘトヘトだったから、お互い本来の自分自身ではなかった。今の私のような平和な心だったら、うまくいっていたかもしれない。
後から考えたら本当に情けない希望だった。
 私が風邪を引いた時は、すごく心配してくれて、早く帰って来て、
うどんを作ってくれた。・・・ただただそんな事を思い出していた。
この痛み、彼がなくしてくれることはできないけど、怒鳴り散らして、
八つ当たりでも何でもして、
「痛い!痛い!!」って言う私の声を聞いてもらえたら、
どんなにどんなに心強いか・・・
 そのまま寝てしまい、やっと鎮痛剤が効いて体は楽になった。でもこんな気持ちで、いくら仕事でも他人のマッサージなんて、できっこない。どんなモチベーションでやったらいいのか?

 こうゆう時は、現実逃避するしかない。いつも私が最悪に辛い時の
唯一の逃げ道は、作品作りだった。以前からやってみたかった個展を、
この際やってみようと思った。作品は今まで作ったのがたくさんあり、
その一つ一つを見ると辛かった時は心のリハビリのように自分を癒す為、
寝ずに没頭して作った事、あの時はもう駄目かと思うくらい落ち込んだけど、
明るく美しい世界を作り出す力が、ここまで自分を生かした。
そう思ったら気持ちが楽になり、個展で自分の世界を惜しまず表現して、
その中にいたいと思った。想像するだけでも楽しく、
それまでは仕事も頑張ろうと、モチベーションも上がった。
 絵も写真も、グループ展は今までやったことがあったけど、
個展は初めてだったので、十分過ぎる広々としたスペースに
自由に展示できることは夢みたいで、それをもう少しで実現できるのだから、
この痛みの何よりの鎮痛剤になった。

 前々職の先輩にも手伝ってもらい、展示はスムーズに出来て、
場所と作品の相性も合った。先輩からはもっと沢山の人達に、
私の作品を見てもらいたい、と以前からこのギャラリーを
教えてもらっていたけど、私の気持ちがのらなかった。
作品は作りたくて作るというより、気持ちを表現する一つの方法だから、
苦しい時の自分、又は逆に旅行等で現実から離れ、
自由に解放的になっている自分、
そんな自分の様々な浮き沈みが作品から見透かされてしまったら、
恥ずかしいという気持ちもあり、あまり人に見せたくなかった。

 当然、自分の好きな世界だけど、他の誰かにとっては違うかもしれない。
否定や批判されるのが怖いのもあった。
でも逆に必ずしも全員に、いいと言ってもらいたいのは勝手過ぎるし、
人の感覚は味覚と同じで様々。
何より最初のモチベーションは『自分の為』だったから、
自分が満足する世界をそこに表現できたらいいと思い直して、
お金を取るわけでも売るわけでもないし・・・と気軽にやってみることにした。

 すると、思った以上に通りすがりの人達が吸い込まれるかのように、どんどん入ってくれて驚いた。年配の方が多かったけど、
話した中で一番印象深かった人の事を、今でも忘れられない。
空の写真を気に入ってくれたので、私は
「たまたまタイミングが良くて、狙って撮ったわけではないし、
カメラの性能もいいから・・・」
と話したら、
「なら尚更スゴイわよ!ずっと待ち構えてても、
こんな写真撮れない人もいるのに・・・。きっと神様からもらったシャッターチャンスなのね。
それをこうやって通りすがりの私やみんなに見せてもらえる機会も
作ってくれて、有り難いわね。」
自己満足になってしまうかも、と思いながらやったことが、
沢山の「ありがとう」を言ってもらうことになるなんて。想像できなかった。

 実はもう一つ、個展をやる楽しみが私にはあって、
この機会に元彼と再会しょう・・・と。
そう思えるようになったのは、写真を押し入れの奥の奥から引っ張り出して
準備している時、そういえばすごーく久し振りにこの写真達を見ると思ったら、
ここに越す前、彼のアパート(ワンルームに二人)で一緒に住んでいた時、
写真や絵等は一式まとめて、トランクルームに預けていたからだった。

 でも別れていろいろあったけど、今こうしてやっと写真達が日の目を見て、
私はもちろんだけど、見る人を喜ばすことができたのも、
あの別れがあったからなんだ、と。
もしあのままラブラブでうまくいっていたら、きっと個展をやろうなんて
思いもしなかった。
そんなことをしなくても十分幸せだし、そんな考えすら浮かばなかったと思う。
あんな別れ方をした彼に対して、嫌な気持ちは少しは残っていたけど、
会えば逆に吹っ切れる気がした。あれから一年以上会ってなかったのに、
メールで知らせたら初日の誰よりも先に見に来てくれた。

作品をゆっくり見てくれて、いくつか見せた物もあったので、「これ覚えてる」
という話とか、作品を通しての会話をした。
最後に会った時のあの修羅場がウソのように穏やかな時間、
違和感のない会話をした。
 彼は前から白髪があったけど、更に増えたみたいで、
もともと痩せていたけどもっとガリガリになっていた。
何となくだけど、私に対してまだ罪の意識が残っていたみたいで、
「あの時はごめん」とか、そうゆう言葉や会話は一切なかったけど、
来てくれたことが何よりその気持ちを表す。
傷付けられた人より、傷付けた人の方が後まで引きずる。
返り血をあびるように。

 彼は他の女の所に行ったけど、結局長くは続かなかったらしい。
そんな話は一切しなかったけど、何となくそう感じた。
私もその後、誰も好きな人はいなかったけど、だからって又復縁・・・という程、
単純ではなくて、自分の中の彼に対する感じ方がだいぶ変わった事を
内側で冷静に見ていた。
あ、あの時の別れはやっぱり良かったんだ・・・と確信できた。
あの時は私があの仕事にこだわって、しがみついていたから、
お互いすれ違いで別れたと思っていたけど、きっかけがそうだっただけで、
別れることは決まっていた気がした。
だって再会したその時感じた、「何かが違う」という気持ちに
間違いはなかったから。

 個展は無事終わり、又日常に戻った。
アンケートで、絵が一番良かったという意見が多かったので、
4年振りに又描き始めることにした。生理痛が辛くて仕事を休んでも
絵の教室だけは、休まずに行った。
 仕事は店長とも相談して、歩合給から時給に変えてもらった。
歩合の人優先で施術に入るから、お陰様で大分体は楽になった。
施術に入らない時間は洗濯やタオルの補充、キッチンの手伝い、
新人に施術を教えたり・・・。
歩合給だった時は、ひたすらマッサージの数をこなしていくだけが
仕事だったけど、時給になってサロンを見回る時間のゆとりが持てるように
なると、ホットタオルの補充やドリンクの仕込み、タオル業社のクリーニングが
間に合わない時は、使用済みタオルから取り出して洗濯をしたり、
今までやったことない仕事は沢山あった。ただ私が知らなかっただけで、
陰で時給の人や手の空いた人達が、そうやってサロンを動かしていたんだと、
よくわかった。
 
 寒い日や逆に天気が良過ぎたりすると、お客様が減ってしまうので、
歩合の時は暇だとスタッフ同士揉み合って練習していた。
掃除をする時もあったけど、何も施術が入らず一人で掃除をするのは飽きるし、
長く感じた。待機給は400円だし、施術が自分まで回ってこなければ
最後までいても400円だから、自分から早上がりすることもあった。
 でも時給になってからは動き回って、何かしら仕事を探して最後までいるように
なった。この違いは単にお金だけなのかな?

 時給になってしばらく経ってから、ある日店長に、
「暇な時、誰が掃除してないですか?」
と、聞かれたけど、これって内部告発!?そんなこと言えない。
時給の人達は、やっぱり動き回るけど、歩合の人は(私もそうだったけど)
せいぜいお喋りしながらタオルをたたむ程度。
誰にも言われなくても、誰も見ていない所で掃除ができる人はほんのわずか。
更に店長から、
「長いスタッフほど、それで今まで通してしまったから、
やってないのはわかっているけど、いい大人に対して掃除して下さいって
こっちから言うのもおかしいし、みんなで一緒に掃除しましょうって
言って下さい。」
と頼まれてしまったけど、そんなの新人に対してならともかく、
後から入った私が先輩達に言うのはおかしいし、
そうゆう事こそ上から言ってもらわないと、と断った。
前職で『小姑』と呼ばれていた先輩のように、自ら悪役を買って出る人は、
ここには一人もいない。

 ここでは例え、クレームを出してしまったとしても、
お客様から途中で担当者のチェンジを言われてしまっても、
その事で叱られることはない。更に、お客様の方から何か言われた訳ではなく、
自分とは合わないと思えば、勝手にカルテに『NG』と書いてパスできる。
体調の悪い時は、できる施術や分数を自分で決めて、
無理して入る必要はない。混む土日に予定が入れば、自由に休めるし、
暇だったら早上がりもいつでもできる。
これだけ自由にやらせてもらえる所は他にあるだろうか?

 でも自分がパスしたお客様も必ず誰かがやることにはなるし、
自分が土日休んだら誰かにすごく負担をかけるかもしれない。
掃除する人しない人がいても待機給は同じ。
クレームやチェンジやNGは、ただ相性が合わなかっただけ、
という事にしてしまえば楽かもしれない。本当にそうゆうこともあるから。
 しかし前職では間違いなく原因を指摘されて、
そこを徹底的に追及して、トレーニングを重ね、一つ一つ問題を
解決していくだろうけど、ここは代わりがきく程人数がいるので、
人を変えて解決。
『みんな仲良し』って裏を返せば『本当に仲良い人が一人もいない』
って事かもしれない。嫌われたくないから、本当の事を言えなかったり、
本当の意味で仲良い訳じゃないから、お互いちょっとずつ我慢している。

 自分が仕事してる時に、歩合の人達が喋っていたり、
遊んでいるのを見ていても、心の中では「オイオイ、働けよ〜」と
思っていても、場の雰囲気を壊したくないが為に(イイ人でいたいから)、
心の中の正論はぶつけられずにいる、悪循環。
逆に自由だからこそ、どこまで自分に厳しく出来るかが問われる。
私は本当に自分に甘いから、どんどんだらしなくなってしまう。
でも時給になってからは、雑談していても手は動かそうと思うようになった。
 前職と次の職場は、北風と太陽ほど違うけど、厳しいからダメとか、
甘いからラッキーってことではない。自分から進んでやろうと思わなければ
ずっとそのまま。
少しでも楽がいいという気持ちは、誰しも多かれ少なかれあっても、
楽することが得で、真面目に働くことが損なのか?
全てはモチベーション次第。

 それからおまけに、平松愛理の「部屋とYシャツと私」は、
彼女自身が私と同じ子宮内膜症で、不妊の可能性が高いことから、
結婚に対して、諦めと憧れが両方あり、それが彼女のモチベーションとなって、
あの曲を作ったという。
でも今、彼女は結婚し、無事出産できたと知って、私は同じ女性として、
まるで自分の事のように心から「良かったね!」と思えた。