Service〜奉仕〜 


  厄年と天中殺と大殺界がいっぺんに来るような出来事ってありますか?
例えば失恋、失業、体調不良、家を追い出される、
使っていない9万5千円の請求、裁判沙汰・・・。

 正しいと思ってやったことでも、
他の誰かの正しさとズレていた場合どうなるだろう。
自分の良かれと思ってやったことでも、
相手の受け取り方ひとつで意味が変わってしまう。

 私がバリ式クリームバスのお店で、
ヘアエステやスカルプマッサージをしていた時、
SとMを行ったり来たりしていたように思う。
 私の言うSはサービス。
お客様に喜んで頂くような接客と施術を提供する。
リラクゼーション店ではあるけど、カラーやトリートメントもするので
美容室感覚で定期的にいらっしゃるお客様も多く、
サロンの勤務形態も美容室のようだった。

 ほぼ毎日、オープンから閉店まで約11〜12時間労働で、
ちゃんとした休憩もなく、立ちっぱなし。
スチームや熱をあてている放置時間に、慌てて立ち食いするけど、
タイミングを逃すと、夕方まで水も飲めない時もあった。
もちろんお客様の前では平気な顔をしている、それが普通の日々だった。

 営業が早く終わる日でも、そこから終電までトレーニング。
美容師経験のある人なら、こうゆう世界が体に染み込んでいるらしく、
当たり前のようだった。私以外、全員元美容師だったので、休憩が欲しい、定時で帰りたい、という私の希望は「わがまま」とされた。
 多分、負けず嫌いとかストイックな体育会系タイプなら、
ついていけるのだろう。
禁欲的に我慢を強いられて、断食している修行僧のようでもあり、自分がドMになってしまったようにも思えた。


 このお店にお客として来た時は、素晴らしい技術と接客に感動し、
いったいどうしたらこうなれるのだろう?と思い、
好奇心と興味本位の軽い気持ちで入ってしまったけど、
こんな過酷な日々で人に癒しを提供していたとは・・・。
この立場を知ってしまったら、お客として来たいと思うだろうか?

 勤務形態だけではなく、技術のチェックも厳しく、私はクリームバスの経験者だったので、マッサージよりも
その他の技術(シャンプーやドライヤー、カラーリング)と
サロンワークを身に付けることに、とても時間がかかった。

 多毛でもロングでも、
決まった時間に終わらせなければいけないシャンプーとドライヤーは
本当に苦戦した。
 そして自分が施術に入っていない時は、
他のスタッフが今、何のコースに入っていて、
何のお茶をいつ持って行くかをチェックしたり、
誰かのシャンプーが終わる頃を見計らって、床を拭きに行く。
唯一、先輩全員がシャンプーに入っている7〜8分だけは、
バックルームでイスに座れて、ホッとできたけど、
ご飯食べていても電話には出るし、
お客様がいらしたら、途中で飲み込んですぐ出て行く。
 若い頃から美容室で鍛えられていたら、これが普通なのだろうけど、ド素人の29歳の私にとっては、そんな下地もなく、
 「えー!?ウソでしょ??」
と、心で反発しながらも、
どこか客観的に、こうゆう世界もあるんだ、と冷めた目で見つつ、
熱く頑張っているフリをしておかないと浮くので、
表面的に合わせていた。

 技術を甘く見ていた訳ではないけど、
髪の長さと量でシャンプーの時間はどうしても短縮できず、
まだ自信がないからその分丁寧にやろうとすると、
シャンプー台が詰まってしまい、後で先輩に怒られる。
 ドライヤーもあまりに時間がかかり過ぎて、最初の頃は
 「自分で乾かしましょうか?」
と、お客様からドライヤーを取り上げられてしまうこともあり、
かなり落ち込んだ。
 なので営業後は、トレーニングトレーニングの日々で、
見てもらう先輩を変えて毎日のようにやっていた。
同期のコからは、
 「美容師でもないのに、ここまでやっているんだからスゴイよ!」
と言われたけど、
お客様からすれば元美容師のプロの技術に慣れてしまっているから、
私のバックグラウンドなんか関係ない。
 シャンプーとドライヤーに慣れてきた頃には、
カラーリングのトレーニングが始まった。
後から入った後輩(元美容師)がどんどんデビューする中で、
私は毎日トレーニングの日々だった。

 その当時、彼の部屋で一緒に暮らしていて、
毎日0時前後に帰って来る私を、最初は心配そうに、
 「辞めちゃえばいいじゃん。そんな大変なトコ。」
と、何度も言われたけど、
こんなに毎日毎日練習に付き合わせた先輩に申し訳ない思いと、
逃げたくない気持ちで、まだ辞めたくなかった。
 私は家に帰ったら、疲れてすぐ寝てしまい、
ご飯も彼と一緒に食べれず、家の事も殆どできなかった。
休みの日も一日中寝てしまい、自分の体調管理と、
用事を済ませるだけで終わってしまった。

 彼とはすれ違いの毎日で、
 「これじゃあ、一緒に暮らしている意味がない。
お互い、金がないから仕方なく同居しているみたい・・・。」
と言われてしまい、このままじゃいけないと思って店長に相談したら、
一人前になったら、早番にしてあげる。と条件付きで許可をもらい、
その事を彼に話して、いつ一人前になれるかわからないけど、
もう少しだけ待っていて欲しいと言った。
 そして、早番になることだけを目標にして、毎日頑張った。

 彼とは相変わらずすれ違いの日々だったけど、待っていてくれるはず、
こんなことで別れるはずがない、と勝手に信じて疑わなかった。
 でもやっと早番になれたと同時に、彼は帰って来なくなり、
他の女の所へ行ってしまった。
泣くとか、怒るとか、悲しむ前に、
 「何で?」
と、ただショックだった。
その前に話し合うとか、関係を続ける努力とか全て放棄されて、
次から次へと人の気持ちってそんな簡単に・・・
少しでも楽な方へと・・・動くものらしい。
 毎日、できない事、慣れない事に向き合ってきた自分の方がバカにみたいに思えてきた。

 そんな失恋のショックを味わっている時間もなく、
日々は相変わらず忙しく、そして彼のアパートだったので、
私は追い出された。
 激務と引っ越しとで、やることに追われて、悲しむ余裕すらなかった。
それどころじゃなかった。

 人手が足りなくて、
慣れないカラーリングも自信のないままデビューさせられた。
案の定、色の入り方がいつもと違うと言われて『お直し』やら、
時間がかかり過ぎのクレームが続いて、反省と練習の繰り返しだった。

 朝のミーティングがある日は、早番の私はもっと早く来て店の準備をしてから参加した。社長からは、
 「後輩もどんどん入って来ているので、先輩としてもっと頑張って欲しい。」
と、圧力をかけられた。
・・・いったいどこまで頑張れば『もう大丈夫』なのだろう?
いつも『もっともっと』と『まだまだ』がエンドレスで心に刺さる。

 ミーティング後、その日は立て続けに予約が入り、社長の言葉が頭から離れず、タイミングを失って、朝から水すら飲めずに夕方になった。
多毛ロングのお客様のカラーリングのシャンプーをやっている時、
途方もない気持ちに襲われた。
このまま流しきれず、
延々とシャンプー台に立ってることになるかもしれない・・・と気が遠くなった。
 ドライヤーの時は、やってもやっても乾かず、
又ドライヤーを取り上げられるかもしれない・・・
いっそのこと自分で乾かしてもらった方がきっと早い・・・

 脱水症状と空腹で、
手に、お腹に、心にも、力が入らなくなっていた。
このまま倒れてしまったら、やらなくて済むのかな・・・
その方がきっと楽かな・・・
 今までも、無意識にフッと思う時があった。
手をケガしたら、やらなくても済むのかな・・・と。
そう思っていると、本当に切り傷になってしまったことがあったけど、
バンソーコーを何回も貼り直して、普通にやらされた。
・・・あ、これが普通なんだ、倒れてもきっとダメなんだ・・・。

 意識が朦朧としてきて、お客様のお会計を済ませたら、
先輩に『体調不良』だと伝えると、逃げるように早退してしまった。
 "今、逃げないともう逃げられない"
と、確信して、社会人にもなっていい大人が、
次の日無断欠勤してしまった。

 散々お世話になった先輩からの留守電を聞いて、
やっぱりちゃんと話さなきゃ・・・
これじゃあ、何も言わず私から逃げた元彼みたいだ、と思った。
 先輩は、あの日の私の帰り方が尋常ではなかったので、
心配してくれていて、
 「休むなら休むで、連絡くれれば良かったのに。」
ホッとしたような声だった。私が辞める意志を伝えると、
 「正直、本当はもっと早く辞めると思ってた。結構よく頑張ってたよ。」
最後に初めて褒められて、救われた気がした。
でも、褒め言葉なんか期待してやっていた訳じゃない。
ただ、逃げたくなくて。

 ・・・と、ここで終われる程甘くなかった。
社長からは、
「辞めてもいいけど、バリ研修費9万5千円は払ってもらう。」
と言われ・・・
確かに、契約書には
"一年以内に辞めた場合は、バリ研修費の半額9万5千円を払うこと"
という内容が書かれてあったけど、
私はバリに行って研修した訳ではなく、
サロンで先輩に教わったので、関係ないと思ってた。
 でも、何だかもう早く縁を切りたくて、払うと言ってしまった。

 そしたら、その後、新人のコもデビュー前にトレーニングの時点で胃潰瘍になってしまい、辞めると社長に話したら、
やはり9万5千円払えといわれたらしく、
でもまだ研修の段階で、
実際働いてないのに払わなきゃいけないものなのか・・・?
と私に聞いてきた。

 でも彼女の場合は実際バリに行かせてもらって、
バリ人のトレーニングを受けて来たので、
払うのが普通なのかもしれないとは思ったけど、
研修が辛くて胃潰瘍になってしまったのに、
その治療費もかかる上に、9万5千円・・・。
 私でもそんなお金、引っ越ししたてで大変なのに、
自分より若くてお金のないコが払わされるのが何だか可哀相に思えて、
私がもしこのまま素直に払ってしまったら、
このコも払わなきゃいけなくなるかも?と思って、
ちゃんと調べてから又連絡する、と言った。


 契約書の事、法律の事、
全くわからないので区役所の無料弁護士に相談することにした。
そしたら、私の場合は実際バリに行っていなければ研修費はかかってない訳だから、払わなくていいと言われた。
 でも後輩のように、バリに行ってしまったら、
実際に働く前でも、サインをしてしまっていたら、払わされるものらしかった。

 「しかし、そこの勤務形態はおかしいから、
労働局に話せば何とかなるかもしれない」
と言われた。
 これで払わなくていいことが確実になったので、
私が払わなければ後輩にも強く請求できないだろうと思った。
労働局で労働契約に関する法律を調べてもらった。

 16条に「賠償予定の禁止」
"労働契約の不履行について、違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない"
と、あった。

 その後、念のために労働基準監督署に行って、全ての事情を話したら、
私が無断欠勤してしまったことに、付け込んでくるかもしれないけど、
それで給料が支払われないようなことがあったら、来て下さい。と言われた。

 やっぱり、少しでもおかしいと思ったら、
自力で調べてみるものだ、と痛感した。
 その頃、ちょうど『カバチタレ!』が再放送していて、
何でも受け入れて自分一人が耐えれば、
我慢できれば済むんだ、と思っている女性と、
納得できなければ自分から進んで法律で戦う女性を見ていて、
私がもし一人ぼっちだったら、別に我慢してもいいと思った。
でも同じように辛い目に合った人を見たら、共倒れしたくない。
正しいと思えないことに同意したらダメだと思えた。

 調べたことを全て手紙に書き、
法律のコピーを入れて、一切払わないことを社長に伝えた。
 そしたら今月の給料から引くので、
その差額分だけ払えばいいと電話で言われた。
全然・・・伝わっていなかった。

 「君が無断欠勤した損害賠償と、迷惑や心配をかけた慰謝料を含めたら、9万5千円以上になる。民事裁判で弁護士を付ければ君の勝ち目はない。
そうなったら、20〜30万にもなるだろうし、家族にも請求がいく。
9万5千円で抑えてるのが良心的だろう?」
感情がなく、当たり前のことを言っているかのように、淡々としていた。
私は怖くなって、自然に涙がこぼれた。
電話の向こうで、声を抑えられず嗚咽している私に対しても事務的に、
 「何日までに振り込むように。」

その言葉に私は反射的に、
 「はい。」
としか言えなかった。
こっちは弁護士なんて付けられないのをわかってて言っている、
半分脅しだ、とわかっていても、
 「家族にまで請求がいく」という言葉に、
絶対それだけは嫌だ。迷惑かけたくない!と強く思った。

 私が払うことがわかると、
 「君の辞め方は悪かったが、よくうちの店に貢献してくれた。残念だ。」
・・・もうそんな言葉はどうでもよかった。
早く電話を切って、お金を払って、縁を切りたかった。

 後輩に、「ごめんね」と言って事情を話すと、
彼女は店を辞めてから体調が良くなったみたいで、直接会って
「おいしい物でも食べて、早く忘れましょ」ということになった。


 でも私は、本当にお金を払いたくなかった。
自分があんな辛い思いをして頑張って働いた給料が支払われず、
プラス差額の金額を要求されて・・・
 ショックでしばらく仕事を探す気になれなかった。

 この事情を親に話すと、母は、
 「そんなの手切れ金だと思って、おとなしく払っちゃえば良かったのに!」
母はオレオレ詐欺に合ったら、迷わず振り込んでしまうタイプだ。
 しばらくまともに話をしていなかった父からは、母には内緒で
 「こないだ競馬で儲かったから、5万あげる。」
と言われた。

 失恋から今回の騒動まで全部、たくさんたくさん話した。
私がどんな状況にいても、唯一味方でいてくれるのは親だけだった。
全てうまくいっている時は、何年も連絡を取らず、
本当にすごくすごく久し振りの会話だったのに
 「こうゆう時に親に頼らないで、いつ頼るの?」
と、お金を断る私に言ってくれた。その言葉に甘えてみたくなった。


 家は昔から貧乏で、
親にお金の相談なんて学生の頃からしたことなかった。
 母は保険の営業で、父は清掃員。
姉は生まれた時から知的障害があり、
私が家に来るとヒステリーをおこすので、私は19歳から実家を出ている。
 家は姉中心に動いているから、私は昔から家族と縁が薄かった。
あの人達のようには絶対なりたくない!と、
小さい頃から思って、一人暮らしが夢だった。
 だから、技術職に対して憧れやこだわりがあったのかもしれない。

 でも私のあの仕事より、
保険屋や清掃員の方がよっぽどまともな仕事に思える。

 「どうせ持ってても、又競馬で使っちゃうから、こうゆう時に使って。」
と、渡された5万。
 有り難く使わせてもらった。


 自分の中の正しさ、とは何なのだろう?
自分の身を削ってまでのサービスを、人は求めているだろうか?

 今回の事で間違いなかった事は、
私が後輩に対して思った気持ちと、父が私に対して思ってくれた気持ち、
それだけが唯一本物のService(奉仕)だった。