変わったコト  変わらないコト 


 人は10年位経つと、どのくらい変わってどのくらい変わらないものだろう。
  旅行はいつも一人で、行ったことのない国へ行って新しい発見、出逢い、カルチャーショックを味わう刺激が大好きだった。

 でも、同じ本を読んでも時期が違うと感じ方が変わるように、
行ったことのある場所へ時を経て、もう一度行ってみると、
自分の中にある変わったコト 変わらないコトを見つめなおす機会になる。

 10年前、ワーホリで少しの間住んでいたカナダへ行って、
当時好きだった場所やその頃の友達に会ってみたりしようと思った。
 10年前の自分に出会えるかもしれない。
 その頃の自分は今の私を見てどう思うかな?
 
  オタワでは働いたり、学校へ行ったり、恋愛したり、絵を習ったり、
文章書いたり、写真をよく撮るようになったり・・・
今までで一番大好きだった時期をここで過ごした。
そして私が大好きだったことの1つ、
英語の授業をもう一度受けてみることにした。
 
  私のお気に入りのビギナークラスの先生は変わらず居てくれて、
先生の授業はタイムトリップしたかのように全く変わってなかった。
 ビートルズやイーグルスの曲をギターで弾いてくれて、みんなで歌ったり、先生のオーバーアクションやボディランゲージは芸人のコントのようで、
笑いが止まらない!ショーのような楽しい時間、ユニークな授業だった。
(詳しくは『太陽が教えてくれた北風』の中でも書きました。)

 でも大きく変わったのは、生徒の年齢層。昔は若い人達が多かったけど、今は高齢の人が殆どで、先生のわかりやすいジョーダンも、
言っている意味が理解できないだけなのか、
反応が鈍いのかピクリとも動じず、私以外殆どの人が笑ってなかった。
 お国柄なのか、ロシア人なんかすごく真面目そうで見るからに怖かった。
先生がわざとふざけたり、脱線したりして、面白おかしくやっていると
 「もっとちゃんとやって欲しい」
と、怒ることもあるらしい。

 先生にやりにくくないのか聞いてみると、
 「年を取ってから、他の国に移り住む人達は、
新しい環境に慣れるのにも時間がかかるし、
英語の勉強は根気強く少しずつやっていかないと身に付かない。
だから焦らず、一つ一つしっかりやっていくしかない。
まずは英語を話すことが楽しいと思ってもらいたいから、
例え一人も笑わなくても、僕のやり方は変わらない。」

 人の反応とか全く気にならないのか聞くと、
 「僕もプライベートではたまに感情を抑えられなくなって、
イライラしたり、怒ったりすることもあるけど、
そんな時は誰かが辛抱強く我慢してくれていたりするから、
僕もなるべく人に対して寛容でいたい、と努めているんだ。
誰でもお互い様だから。」


 私は十年前、一生懸命英語で話しても、
 「I don't understand.」(言っている事がわからない)
と、言われるのが怖かった。
 まだ「Sorry?」や「Pardon?」と聞き返される方が、
理解しようとしてくれている相手の気持ちがわかるから、
頑張って言い直したりできるし、
何よりも相手が聞こうとしてくれている姿勢が嬉しかった。

 私の中では、「I don't understand.」にも二通りあって、
わかりたいからもう少し説明して欲しい「Sorry」と同じような意味の場合と、
もう一つは「わかりません!」と諦めて、シャットダウンされてしまう場合。

 前者は、こっちが諦めなければ出来る限りの説明で、
やっとわかってもらえることもある。
逆の立場だとしたら、日本語を一生懸命話している外人に、わかりづらいと思いつつも聞き耳を立てて、気長にわかろうとするような感覚なのかな?
 後者の場合は、「無理!」とか「面倒臭い」って感覚。

 今回の旅で、外人として感じる、その微妙な感覚を、又思い出した。
電話をかけてオペレーターと話した時、
相手の言っている事が早過ぎて理解できず、何度も聞き返していたら、
切られてしまったことがあった。
 でもどうしてもオペレーターを通して、電話を繋いでもらいたかったので、
もう一度掛け直すと、違う人が出て、
今度はこっちがわかるまでゆっくりと何度も説明してくれたので、助かった。

 空港では、雪で飛行機が遅れていたので、
その後の乗り継ぎの時間に間に合わないからと、
チケットを見せて説明しても伝わらず、充分時間があると言われ、
二回同じ人に聞いても同じ事を言われたので、違う人に聞いてみたら、
チケットを見てすぐわかってくれて、便を変えてくれた。

 相手に「わかりません!」と閉じられてしまったら、
他の人に話せばいいと思った。
 日本のように誰に話しても意味が通じたら、何の問題もないけど、
言葉が通じないからこそ、
この人は聞き耳を立ててくれる人なのか、どうなのか?
人間性までもがわかる。
 だからもう「I don't understand.」が怖くなくなっていた。


 若い時は、自分を表現する事、相手に伝えたい事、
誰かにわかってもらいたい事は、
 「無理!」「面倒臭い」と、努力もせずに諦めてしまっていた。
今だって、こんな風に写真に言葉を付けた作品や
体験に基づいた文章を読んでもらう事は、恥ずかしい気持ちや、
わかってもらえるかとか、どうなのだろうと、
いろいろ思うところがあったけど、
文才や自信があるから読ませるのではなく例え中学生の作文レベルでも、言葉が好きなのと、ただ伝えたいという気持ちの方が強くなっただけなので読みたい人だけ読んでくれたら私も嬉しい。

 一回目の個展では、作品のタイトルさえ付けずに自由に感じてもらいたいと思ってやってみた。
 でも今回は言葉や文章も同じように自由に感じてもらえたら、
それもアートの一部になるのかも、と思う。

写真はもしかしたら同じように撮る人も居るかもしれないけど、
表現の仕方や体験は様々だろうから。

 Photo bookでは内容に合った字体の人達にそれぞれ代筆を頼んだのも、字を「読む」のではなく字の印象を「感じて」、
作品と一緒に「見て」欲しいから。
 自分に宛てた手書きの手紙をもらった時のようなワクワクした感覚を
楽しめるのではないかと思って、やってみたくなった。

 そして何より、自分が十年前とあまり「変わってなかったコト」を
これからも大切にしていこうと思う。
 その頃の私は、写真、絵、文章を一番よくやっていた時期だった。
日本に帰ってからは、優先順位から外れてしまって、
あまりやらなくなってしまっていたけど、
十年経った今になってやっと人に見せてみたいという気持ちに、
ようやく辿り着いた。


  変わったコト・・・わからない人がいてもいいと思えるようになったコト
  変わらないコト・・・アートが好きなコト
  
  

 ・・・それからもう一つ。
昔から全く変わってないコトの一つは、字が下手なコト(苦笑)
こればっかりは不治の病(汗)
子供の頃はかわいらしい字やキレイな字が書ける人を羨ましく思って、
「どーせ私には書けないし・・・」
と思春期には本気でコンプレックスでした(悔泣)

 でも大人になって、誰にでも出来る事と出来ない事があるように、
完璧な人なんていないとわかってくると、
自分に足りない事ばかりに目を向けるのは不毛だなぁと。
 だから思い切って、友人達に頼み込んで清書してもらって、
出来上がったPhoto bookを見たら、たまには無理言ってみるもんだなぁと、惚れ惚れしました。
 それぞれ個性のある、味のある字を書く人を、今は心から素敵だなぁと、
思います。

 年を重ねていき、大きく変わったコトは・・・
体力!でしょう、悲しいかな(泣)
リラクゼーションサロンで働いているので、
昔と比べると大分疲れやすいなぁと実感。
いつまで出来るだろう?と思ったりすると、限界が見えてしまって切ない。

 何とか別の方法で、
マッサージと同じように心と体を軽くする事はできないかな、と・・・。
 年を取ると、体力を知性や想像力で補う。量より質。
 若い人にはできない発想があるはず!

  ふと見たCMでの美しい景色やいい表情。
  お笑い芸人のネタや、YouTubeでネットサーフィン
  ・・・無意識に脳は気持ちいいモノを求めている。

 バーチャルだろうが、ちょっとした現実逃避(!?)、
イメージトリップでも何でも、気持ち良ければ、瞬間リセットされる。
 笑ったら力が抜けるし、キレイな物には癒される。

 そんな気持ちいい瞬間を、ほんの一瞬でも提供できたらいいな、
という思いの『深呼吸』『空気』『Cool Down』です。

 直接触れるマッサージとは違う、作品を通しての「出逢い」
時間と空間を飛び越えたからこその「出逢い」を楽しみにしています。

 そして、影の助っ人!!
字を書いてくれた人達とのコラボレーションがあったから、
自分だけの作品にしておくのはもったいないので、
ぜひ沢山の人にも見てもらいたいです。

 全部一人で作ることが必ずしも良いこととは限らないし、
移動するだけが旅ではない。
年を取っていくことだって、悪い事ばかりではない・・・はず 
(希望)