太陽が教えてくれた北風 


  『北風と太陽』の話を思い出した。
オタワで、移民の人が多く通う英語学校に行っていた時、
初日から他の国の人達があまりにも自発的に先生に質問してたり、
問題の答えを言っているのを見て、私はただただ圧倒されてしまって
一言も話せずにいた。
 日本では手を挙げて、指された人だけが答えられるという教育だったし、
ましてや母国語じゃない言葉でなんか積極的に話せない!

・・・そんな気持ちは私だけだったのか、
他の生徒達は間違っていてもお構いなしで、ドンドン話し自己主張する。
 私は、問題の答えをわかっていたとしても、
話すこと自体が恥ずかしくて、無理だった。
 いつどのタイミングで口を挟んでいいのかわからず、
間違いながら覚えていくといっても、
その間違い方さえもわからない状態だった。

 担任のローナ先生にとっては、
そんな私が逆に、クラスで一番目立っていたらしく目をつけられて、
授業中他の生徒より多くあてられるようになった。
そのおかげか、単に呼びやすいからかもしれないけど、
クラスの人に名前を覚えてもらえて、休み時間も話をするようになり始めた。
 お互い英語が母国語じゃないから、片言でも通じ合えるので、
個人的に話す分には良かった。

 しかし、それを見たローナ先生はグループ討論の時に、
 「ナナに喋らせてあげて!
知っているわよ、あなたがシャイじゃないってことは!!」
 私が話し始めるまで、ずっと睨まれていたこともあった・・・。

 キューバでダンスを習っていた事が先生の耳に入った時は、
 「みんなの前で踊って見せて!」
と言われてしまい、それは見せるためのショーダンスではなくて、
自分が楽しむために踊っているのだと説明しても、
そんな気持ち、ちっともわかってもらえなかった。

 ある日は例文で
 「ナナはこのクラスで一番声が大きい」
と、誰も笑えない冗談を言われ、ますます何も話せなくなっていった。
先生が私をいじめて楽しんでいるのではなくて、
みんなの前でちゃんと英語を話せるようにさせるためだということは、
わかっていても、
これではまるで強い北風のようで、ますますコートの前を合わせ、
脱げない状態になっていった。

 授業中、先生と生徒の間で飛び交ううるさいくらいの英語が、
冷たい北風のゴーゴーいう音のように、
私には無関係な雑音みたいに感じていた。

 私はクラスに参加できないまま、口も心も閉じたまま過ごす日々だった。
これでは学校に行っている意味がないと思って、
思い切って他の先生に相談してみたら、
 「一つレベルを落として、ビギナークラスにも行ってみたら?」
と言われて、早速午後そのクラスに行ってみることにした。

 少し遅れて教室に着くと、笑い声とギターの音が聴こえてきて、
ビックリした。
ギターを持った先生らしき人は、私に気付くと演奏を中断して
 「KO・N・NI・CHI・WA」
と、笑顔で言ってくれた。

 久々に聞いた日本語はカナダ人の先生の口からだった。
そして先生は、たった一人の私のために、
わざわざ時間を取って生徒一人一人の名前と国籍を
丁寧に紹介してくれた。
 なんと先生は、生徒の母国語での『こんにちは』を全部言える。

 授業は、誰でも聴いた事のある名曲をジェリー先生のギターで歌い、
歌詞を使って勉強する。ビートルズやイーグルスの歌詞のセンテンス、文法を習い、わからない単語は先生のジェスチャーでのパフォーマンス。
声色を変えて、一人コントのようなストーリー仕立てで、面白おかしく説明。誰でも見てわかるように楽しませてくれる。
話す英語全てがわからなくても、コメディアンのショーを見ているみたいに
自然と笑えてしまった。

 「サヨナラ アイ」
ジェリーの口からだった。他にも中国語、フランス語・・・と、このクラス全員の母国語で「Bye -bye love」という曲名を言ってくれた。
その時クラスのみんなは、母国を思い出したかのように、
優しい顔をしていた。

 ジェリー先生は
 「僕は人が好きで、言葉が好きで、音楽が好きで、
教えることが大好きなんだ。英語を第二外国語としている君達は、
英語を話すだけでも大変なのに、ここで働いて新しい文化、
違った習慣の中で生活しなければならない。
もちろんそうゆう人達に英語を教えることは簡単ではない。
でも音楽は国や人種関係なく誰でも楽しめて、
Happyな気持ちにさせてくれる。だから英語を話すことを怖がらず、
歌を歌うように楽しんで欲しい。」

 つい昨日までの『宿題やテストのための英語』から
『ちゃんと歌えるようになるための英語』へと変わっていった。
まるで魔法のような授業で魔法はこれで終わらなかった。

 ジェリー先生は白黒の絵を配り、その絵から思いつく物語を、
想像力を使って書くように、言った。
 みんな同じ絵を見ても、全く違う内容の話を工夫して書いているので、
後で文法の間違いを正すことより、人の作品を読むのが楽しみだった。

 ジェリー先生は私の作品を読むと、大げさに褒めてくれて
 「Excellent! 君は日本でライターだったの?」
と本気で聞いた。
 私は違います。書くことが好きなだけ、と答えると
 「黒板に書いて、みんなに見てもらおうよ!」
と言われてしまった。
私は今まで自分が書いたものを人に見せたことがなかったので、
恥ずかしいし、自信がないからと断ると、
 「自信をつけるために書くんだよ!」
と、チョークを目の前に置かれて去られてしまった。

 いつもそんなに強制的なことはさせない人なので、
信じて書いてみることにした。
 すると、私の物語を、文法の間違いを正しながら、先生が身振り手振りでわかりやすくみんなに説明してくれて、
 「ナナ、大丈夫。大切なのは知識より想像力だよ。」
と、正確な英文に直ったその物語を、改めて読み直してくれたら、
最後には自然とみんなから拍手されていた。
私が一番 驚いた。

 その日から、ジェリー先生とは友達のように親しくなって、
英語を話すというよりは、この人と話したいという気持ちから
自然と言葉が出てきて、メチャクチャな英語でも、
ちゃんと言いたい事がわかってもらえた。
 彼は会話中、私の間違いだらけの英語をいちいち直さないで
『言いたい事』として受け止め、対等に『おしゃべり』してくれていた。

 「頭で話す英語に間違いはあっても、心から話す英語には間違いはない」
と言われて、
間違う事を恐れて話せなくなっていた気持ちから、
いつの間にか抜け出せるようになっていた。

 先生の授業は、私の心のドアを自然に開いて、
スーッと中へ入って来るような優しい暖かさで、居心地が良かった。

 ローナ先生のクラスの友達に、その事を話すと
 「歌っているだけで英語が話せるようになれたら、
みんなジェリーのクラスに行くよ。」
 そういえばローナ先生のクラスは一人残らず進級していくが、
ジェリー先生のクラスは居心地が良過ぎて留まってしまう生徒がいる。

 その時、人にはオアシスを探す人と、
山に登る人がいるという話を思い出した。
 オアシスを探すように、面白そうなところへ遊びに行ったり、美味しい物を食べたりして今を楽しく生きる人達。
その人達は十年後二十年後の自分が今と変わってない事に焦りを感じないのだろうか?

 一方、山を登るように、目標や目的のために勉強や仕事を毎日一生懸命する人達。
 その人達は山に登っている最中、
少しでも周りの美しい景色を眺める心の余裕はあるだろうか?
 目の前の砂利道、デコボコ道にだけに気持ちが集中して、
すれ違う登山者との交流や、
立ち止まって発見するかもしれない植物や景色に気付けるだろうか?


 私は、北風先生の後、太陽先生の授業を受ける。
それは、高い山を登り切った後に辿り着けるオアシス、
何よりのご褒美だった。

 今、こうやって当時の事を思い出して書いている私も、
英文で一生懸命物語を書いていたあの頃の私も、
何ら変わらないような気がする。

 二人とも上着を脱ぎたくても脱げない北風社会の中で、
『太陽』を見つけて裸になりたがっているのだ。