青い鳥


 私がまだ若くてかわいかった(!?)時期は、カナダのワーホリで
幼くて未熟な自分を実感していた。
 日本から予約してから行った英語学校は、11人中10人が日本人。
バンクーバーは町を歩いていても日本人だらけ。
みんな個々に一人一人で来ているので、知り合いの一人もいない外国では
『日本人』というだけで友達になれた。
 東京では一人で生きていけるけど、外国ではお互い頼り合わないと生きていけない。
場所が変わっただけで、実は日本にいるよりも日本人や日本語に
頼っている気がした。

 「海外行っても、日本人同士かたまってしまって、英語が全く話せないで
帰って来る人が多い」
と、行く前に言われたけど、
 『皆と一緒』であることが、唯一私を孤独にさせない。
 『皆きっと同じ思いなんだ』という気持ちは、安心と諦めと、自滅を
呼び寄せる。

 カナダはこんなに大きな国なのに、私は何でこんなに小さいのだろう?
と、バランスがとれなくて寂しくなる。

 私は学校を途中で辞めて、
住み込みで働かせてくれるファームステイに切り替えた。
 ステイ先は、50代の女性が一人で馬の世話をしている、バンクーバー島。

週末は乗馬させてもらえるらしかったが、そこまで行く前に、
3日であっさり辞めてしまった。

 何かが違う・・・コレをやる為に私はカナダに来たんじゃない!
とはっきり思った。
 このファームを紹介してくれた会社の人に電話で話したら、
 「同じ辞めるのでも、一生懸命頑張って、どうしてもできないのと、
そうでないのとでは、全然違うのよ。」
と言われた。
でも私は、何かピタッとハマるものじゃないと、やりたくなかった。

 学校もファームもすぐ辞めてしまったことを、日本の友達に手紙で話すと、
 「自分のお金と時間なんだから、すぐ移動したっていいじゃない!
納得するまでやってみたら?
年を取ると、次から次へと行けなくなるものなんだから」
と、肯定的だけど、こっちで知り合う日本人からは
 「もらってばかりじゃなくて、与えられる人になって欲しい」
 「石の上にも三年だろ!?」
と、怒られた。
・・・でも「諦めが肝心って言葉もある」と、心の中で言い返していた、
三日坊主の私。


 あの頃、二つ目のファームに移る前に見た夢の話が日記に書いてあったので、そのまま写します。

1998年4月12日(日)

 
仕事を探すためにいろんなお店に面接へ行ったが、カオのない店員に
履歴書も見てもらえず、追い返された。
 だが、一軒だけ日本食屋さんにOKをもらい、
次の朝ハリキッて行ってみた。
そしたら・・・
 「あなたには、こっちの方が向いている」
と、勧められたのは風俗・・・。

 どーせろくに英語も話せない私には、
女を武器にしたコトしかできないか・・・。と悲しくなり、大声で泣いた。

 誰かに八つ当たりしなければ、悲しみでつぶされてしまいそうだった。
その時、見たコトのあるカオの女が側にいて、
私は何も言わずに泣きながら、その女をボコボコに殴り続けて、
女は体を丸くして、動かなくなった。
でも、私は殴り続けている。泣きながら・・・。
その時、
 「あなたがそれで気がすむなら、殴り続けなさい。」
と、死ぬ前の一言のように、低く弱々しい声で女は言った。
 それを聞いて、殴っても自分が何もデキナイコト、変わらないコトに気付き、自分のしていたコトの恐ろしさに泣き叫び、
目が覚めたら、本当のグシャグシャな顔で泣いていた。

 ・・・後でわかったことだけど、その見たことのあるカオの女は母だった。
余計ショックだった。
母に直接謝りたくなった。


 そして、次のファームは、バンクーバーからバスで24時間北へ上がり、
到着したその町からも、更に車で2時間かけてやっと辿り着いた。
ちょっとイヤになった、からといって
すぐに身動き取れない所まで来てしまった・・・しばらく頑張る覚悟を決めた。

 広大な放牧場の中で移動は車。3家族がログハウスに住んでいて、
更に年の近い若い人達がたくさん働いていた。
 馬、牛、ヤギ、羊、ニワトリの世話、フェンスを作ったり、子供達と遊んだり、コーヒータイムのお菓子作りやランチや夕食作り・・・。

 20〜30人位の人達が住み込みで働いていたので、
一人くらい日本人が混ざっていても、あんまり違和感はなかった。
少し経ってからわかったことだけど、
若い人達の中では21歳の私が一番年上だった。

 わかりやすい英語で、親切に説明してくれたり、
いろいろ世話してくれた15歳のレネイに、
 「カナダ好き?」と聞かれて、
 「好きだけど、うまく英語話せないし・・・」と言うと、
 「私も日本に少しだけ留学していた時、あなたと同じ気持ちだったよ。
でもその時は、友達や先生に助けてもらったから。」
 だから今、その恩返しのように私にも優しいのかも、と勝手に思った。

 20歳のカルメンから、
 「ライスボールを作ろう!教えて!!」
と言われて、適当な調味料で、適当ににぎってたら、
自発的に自分が中心になって何かをすることが、
ここに来て初めてだということに気付き、カルメンもその事に喜んでくれて、
 「みんなライスボールは大好きだよ。」
と言ってくれた。
 でも食べている時に、目の前にそのおにぎり以外全部食べて、
おにぎりだけがポツンと残している人の皿があり、
 「あ、やっぱり・・・」と、ちょっと寂しくなっていたら、それに気付いたのか、いつも小食のカルメンが、その誰かの食べ残したおにぎりを食べて、
 「ありがとう。グッドパートナーだったよ。」と。
笑って背中をポンッとたたいてくれた。

 キッチン担当の16歳のキムは、蛾とか虫とか手づかみで捕まえた手で、
そのまま料理を作っていたり、足がかゆいと包丁でかいていたり、
落とした物をそのまま出してしまうことを知らなければ、
出来上がった料理は素晴らしい!

 キムがチェリーパイを作るのを私が少し手伝っただけで、
殆どキムが作ったようなものなのに、みんなには
 「ナナが作った!」と言いふらし、
私は「NO!!!」と言い続けたけど、人々は満足そうに食べてくれて、
みんな喜んでくれた。
 こんな私でも人に何かしてあげられるんだって、ちょっと嬉しくなった。

 私は作業中、誤ってドブに入ってしまい、
ちょっとでも服が汚れることを気にしたり、
切り傷、すり傷、ヤケド、目にゴミが入っただけで大騒ぎになるのに、
ここの人達はそんなこと生きている事には変わりはない、
という感じで気にしていられない。

 馬の爪を切って奮闘しているカルメンを見て、
私ならお金もらってもやれない、やりたくないと思った。
おとなしい馬はじっとしているけど、
クレイジーな馬は切ってもらっているのにもかかわらず、
暴れ回って邪魔をする。
なかなか言う事を聞いてくれない動物相手に働こうなんて、
動物を心から愛している人じゃないと無理・・・。

 ここでは一見華奢なかわいらしい女の子でも
男性並みの(土方や大工さん)仕事を平気でやってのけてしまう。
男女平等の国なのだと思う。
 朝も昼も御飯は15〜20分位で、食べ終えて、さっさと仕事に戻る。
私は動物がすごく好きな訳ではなく、
力仕事をするほど体力に自信がある訳でもなく、
ただ何となく経験の一つとしてファームステイをしている。
観光気分、遊び半分・・・。

 私は仕事の役に立っていない以前に、
みんなの日常の作業の足手まとい、ただの邪魔。
 でも何していいのか、どこまで手伝っていいか、どこに行くにも車だし、言葉はよくわからないし、何を言われてもYESと笑っているだけ・・・。
そんな自分が本当に嫌だった。

 でもそんなひ弱な日本人でも暖かく仲間として受け入れてくれて、
この放牧場と同じくらい大きくて広い気持ちに嬉しいやら、
慣れなくて恥ずかしいやらだった。
 私もこの先、いろんな仕事を体験して、
どんなコトでも許容できる広大なカナダのようなキャパシティを
持ちたいと思った。

 ここへはもう捨ててもいいようなボロ着しか持って来なかったのに、
みんなは「素敵なシャツだね!」と、着ている物を褒めてくれる。
 きっとここのみんなは
 『キレイな服やカッコイイ車やたくさんのお金を持つこと、
社会的な地位を得ること=それは人や人の目に映る自分の評価、
自己満足の世界』
とは、明らかに脱却した場所に自分を置いている。

 10歳の女の子が器用に馬に乗って、乗馬の仕方を私に教えてくれたり、
まだ16歳のキムが大人と同じような力仕事をしたり、
お菓子や料理を上手に作っているのを見ると、
自分の16歳の頃はただ普通に高校へ行き、
自分のためだけにアルバイトをしていた。
 キムはこれから有意義に、大自然の中でのびのびと育っていくだろうな。

 こんなにいい人達の中にいたのに、私は自分で自分にバリアを作っていてその中からなかなか抜け出せないでいた。
土日は作業がないので、部屋で音楽を聴いたり、
手紙を書いたりして過ごしていると、後から入って来た日本人男性ツヨシに
 「何のためにここに来たの?」
と、よく怒られた。

 彼は私より英語が話せないのに、
ドンドン自分からみんなの中に入って行くような、
ワイワイするのが好きなタイプらしかった。
 ある日はヤギ小屋で、みんなでホースの水を飲んでいたら、
水のかけ合いになってしまって、
私は濡れるのが嫌だったので「NO!!!」と断って逃げた。
その後、びしょ濡れになったツヨシが
 「こうゆう時は自分を捨てて、環境の中に入っていく時なんだよ!
オレだって濡れるのは嫌だけど、その場の雰囲気を壊さないようにしないとせっかくみんなで楽しんでるんだから!」
とまた怒られた。

 「結局オレ達日本人のできるコト、するべきコトなんて
最初からないんだから、どんどん進んで自分から手伝うようにしなきゃダメなんだよ!学生の時の部活のように、その時は辛くて苦しくて辞めたいって、何度も思っていても、ずーっと続けることで後で振り返っていい経験になるんだよ。」と。
 「君、今は21歳だけど、5年経って今のオレと同じ歳になってから
又再会してみたいな」

・・・あれから10年以上経った今も変わらず協調性はないけど、
あの頃よりは少しはマシになったかも。
いろんな人の立場を味わうと、その人の気持ちになって考えることができる。
 こればっかりは、実際経験しないとわからないから仕方ない。
『亀の甲より年の劫』


 当時私は、特に目的もなく、心が動いた所へ旅をしては、
どんなに素敵な出会いがあっても、居心地が良かったとしても、
さらに行ったことのない所へ行き、経験してないことを次々求めた。
そんな私にある人が
 「青い鳥を探す旅みたいね。」
と言った。
 「日本人は本当によく働くから、
本当にやりたいコトを日本で見つけることは難しいかもしれない。
だからあなたは今カナダで、自分の時間がたくさんある中で、
何かを見つけようとしているのね。」と。
 「もしかしたら、それを探し続けること自体を楽しんでいるのかもしれない。
でもそしたらエンドレスだ。」
と。私が言うと
 「それでいいのよ。いつも喉が乾いていて、
それを潤す何かを求めて、探して・・・。
毎日、昨日とは違う何かを吸収していけばいいのよ。
気持ちは毎日変わるから、いつでも新しい『何か』を
受け入れる準備ができているってことだから。でも、幸せの青い鳥は・・・Patient mind」

・・・根気強く待たないと 逃がしてしまうらしい。